2007年01月03日
今日でホントニ。。。
本日1月3日は私の誕生日でございやす。
とほほ。。。ゾロメの33歳でござるよ~。
けれど、今年は新しい家族と出会える年。
いつまでも馬鹿なガキンチョではいられないもんね。。。
33歳になったら、何をする?
まあ、普通に子供が出来るだけでも大変なコトだけど。。。
今日はちょっと真面目な話しになっちゃうかもです。
私は2003年から2005年にかけて山梨で仕事をしてました。
ジュエリーメイキングの学校に通っていたのですが
どうしても東京では、30手前の女を初雇用してくれる会社が無く
私も30前にしてかなり焦っておりました。
そんな時に「山梨まで行けばやらせてくれる会社があるかもよ~」
という情報を耳にしました。
もちろん親には大反対をくらい、自分としても「そうだよな~。。。」
などど弱気なコトを思っていたのです。
ところが今の旦那さんのともさんが「行ってみたら?」
と言ってくれたおかげで、私の心のボタンにもスイッチが入り
山梨行きを決めたというわけです。
山梨での生活は今までチャランポランに生きてきた私には
何もかもが過酷。叱られる事が本当に辛かった。。。
本当だったら若い頃に乗り越えなきゃいけないこととか
30にして経験する惨めさと不甲斐なさで
毎日がストレスの連続でした。
でもこんな私を雇って叱って育ててくれた社長の
根気強さと情の深さを勤めるうちに感じ始めていたので
兎に角最初に契約した2年だけは、確実に仕事を覚えよう。
なんでもやろう。そんな風に思えるようになりました。
2年という設定は私の住む場所と、仕事をするところは
あくまで神奈川でありたいという思いが強かったことからです。
それは世の中の人にしてみたら中途半端な事に聞こえるかもですが。。。
この土地から離れて何かをする事が良い決断だとはどうしても思えなかった。
人も町も全部好き過ぎてどうしても離れる気にはなれなかった。。。
で、やっぱり2年間やってみて、こっちに帰ってきて
1年経過した時にこう思ったんです。
「必ずまたジュエリーやりたい!」と。
この気持ちは私の中では非常に大事な芽生えです。
でも今もこうやって「やりたい!」って思えるのは、あの時山梨から帰ってきたから。
良い職場だったけど、ずっとあのまま居たら職人になれたと思うけど
決定的に「これじゃないんだ!こういうことじゃないんだ。。。」と少し前から気づき始めていたので
あのタイミングで辞められたのは本当に良かったと今にして納得できるんです。
私はなんとなくトンマなところがあり、見当違いな事をやり続ける癖みたいなもんがあるんです(笑)
でも辞め時や引き際なんかは、年とってくると結構自然に身についてくるもんなんだなあ。。。
しかしながら2年ぽっちで私を手放してくれた社長には、今でも感謝してます。
2年といったら、やっとソコソコ仕事ができる様になる時期。
でもこの2年間は私の考えをマトメテくれた時期なので、相当密度の濃い2年です。
33にして何を?
まだ思っていることやプランは形にできないし、子育ても待ってるので(笑)
ちょっとづつ行動でやって行きたいと思います。
やっぱ宣言するよか、やりながらじゃないと決めらんナイです。
前にアルバイトしていた職場の店長が
「やりたい事はタイムリミットを決めなきゃ駄目だよ!」と私が退社する時に
大人意見をくれましたが、女ってリミット決めたら何にもできない生き物なんですよね。
だから子供生んだらまた始めます。やり方地味かもしれないけど。
利益そっちのけかもしれないけど。
じゃないと生きてるのつまんないと思いませんか?
とほほ。。。ゾロメの33歳でござるよ~。

けれど、今年は新しい家族と出会える年。
いつまでも馬鹿なガキンチョではいられないもんね。。。
33歳になったら、何をする?
まあ、普通に子供が出来るだけでも大変なコトだけど。。。
今日はちょっと真面目な話しになっちゃうかもです。
私は2003年から2005年にかけて山梨で仕事をしてました。
ジュエリーメイキングの学校に通っていたのですが
どうしても東京では、30手前の女を初雇用してくれる会社が無く
私も30前にしてかなり焦っておりました。
そんな時に「山梨まで行けばやらせてくれる会社があるかもよ~」
という情報を耳にしました。
もちろん親には大反対をくらい、自分としても「そうだよな~。。。」
などど弱気なコトを思っていたのです。
ところが今の旦那さんのともさんが「行ってみたら?」
と言ってくれたおかげで、私の心のボタンにもスイッチが入り
山梨行きを決めたというわけです。
山梨での生活は今までチャランポランに生きてきた私には
何もかもが過酷。叱られる事が本当に辛かった。。。
本当だったら若い頃に乗り越えなきゃいけないこととか
30にして経験する惨めさと不甲斐なさで
毎日がストレスの連続でした。
でもこんな私を雇って叱って育ててくれた社長の
根気強さと情の深さを勤めるうちに感じ始めていたので
兎に角最初に契約した2年だけは、確実に仕事を覚えよう。
なんでもやろう。そんな風に思えるようになりました。
2年という設定は私の住む場所と、仕事をするところは
あくまで神奈川でありたいという思いが強かったことからです。
それは世の中の人にしてみたら中途半端な事に聞こえるかもですが。。。
この土地から離れて何かをする事が良い決断だとはどうしても思えなかった。
人も町も全部好き過ぎてどうしても離れる気にはなれなかった。。。
で、やっぱり2年間やってみて、こっちに帰ってきて
1年経過した時にこう思ったんです。
「必ずまたジュエリーやりたい!」と。
この気持ちは私の中では非常に大事な芽生えです。
でも今もこうやって「やりたい!」って思えるのは、あの時山梨から帰ってきたから。
良い職場だったけど、ずっとあのまま居たら職人になれたと思うけど
決定的に「これじゃないんだ!こういうことじゃないんだ。。。」と少し前から気づき始めていたので
あのタイミングで辞められたのは本当に良かったと今にして納得できるんです。
私はなんとなくトンマなところがあり、見当違いな事をやり続ける癖みたいなもんがあるんです(笑)
でも辞め時や引き際なんかは、年とってくると結構自然に身についてくるもんなんだなあ。。。
しかしながら2年ぽっちで私を手放してくれた社長には、今でも感謝してます。
2年といったら、やっとソコソコ仕事ができる様になる時期。

でもこの2年間は私の考えをマトメテくれた時期なので、相当密度の濃い2年です。
33にして何を?
まだ思っていることやプランは形にできないし、子育ても待ってるので(笑)
ちょっとづつ行動でやって行きたいと思います。
やっぱ宣言するよか、やりながらじゃないと決めらんナイです。

前にアルバイトしていた職場の店長が
「やりたい事はタイムリミットを決めなきゃ駄目だよ!」と私が退社する時に
大人意見をくれましたが、女ってリミット決めたら何にもできない生き物なんですよね。
だから子供生んだらまた始めます。やり方地味かもしれないけど。
利益そっちのけかもしれないけど。
じゃないと生きてるのつまんないと思いませんか?